お母さんの賃金が無償な訳とは?

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賃金換算は出ている

政府試算では、年収194万円に相当すると言います。

ん?

計算方法が庶民感覚とずれてませんか?

お母さんは、金額で表せないほど愛情と責任を惜しげもなく費やしています。

この試算の3倍くらい貰ってやっと腑に落ちるといった感覚ではないでしょうか?

貨幣が無いときはどうしてた?

金本位制が1816年にイギリスで始まりました。

日本が金本位制を取り入れたのは1897年(明治30年)の事です。


金本位制とは、紙幣をいつでも金と交換できる仕組みのこと。
紙幣は、金交換券です。
今現在流通している紙幣は、『管理通貨制度』と呼ばれていて、
いくらでも刷る事ができるが、信用が低くなりインフレの原因にもなり得る。


縄文時代を文献から想像してみると、お父さんは狩りをして、お母さんが子供を面倒見ていたのでしょう。

どちらにも金銭的なものはなく、家族が安心して暮らせる日常だったに違いない。

誰もが無賃労働をして生活をしていた、だって、お金なんて無いんだから。

お母さんが無賃労働であるという誤解

賃金が発生しないというのは、まったく事実でその通りである。

だって、雇い主は存在しないんだから。

じゃぁ、なんで雇い主が存在しないの?

お母さんに(またはお父さんに)代わりは居ないからではないでしょうか?

誰にでも出来ることであれば。賃金で募集すればいいだけの話で替えが効く仕事です。

ベビーシッターや保育園にお金を払って代替してもらえばいい。

ジェンダー平等、働き方改革、女性の社会進出?

全員がそっち向きに進まなければならないのでしょうか?

男女の平等を同軸で考えたってしょうがなくないですか?

生物学的に向き不向き、個体差での得意不得意があるでしょう。

お金がその【ものさし】になってませんか?


分かりやすくて、計りやすい【ものさし】ではあるけれど、替えの効かないお父さん、お母さん、家庭に持ち込むことで争いが起こったりはしていませんか?

『争いの火種になる』ってことは、その【ものさし】は適さないのかもしれません。

料理が得意、背が高い、力持ち、勉強を見れる、この総合力で平等であれば、同性愛だろうがジェンダーだろうが関係なく平等とならないだろうか?

つまり、一致団結ということに、にどっちが稼いでいるを持ち込むこと自体がナンセンス。

たまたま給与を貰っているに過ぎない

現代社会においては、【生活を営む対価】としてたまたま【通貨】が使用され、稼ぐことがセットで考えられています。

フリーエネルギー、ベーシックインカムの世界では男女格差ってあるんだろうか?

ベーシックインカムについて

女性はおしゃべりを楽しむもよし、子供に愛情を掛けるもよし。

男性は地域貢献するもよし、家庭菜園するもよし。

現代通貨社会がたまたま男女格差を錯覚させているに過ぎないのではないか?

どうしても、『家事はやりたくない!』

であれば、自分で代わりのベビーシッターなり家事代行を雇うことになります。

自分の代わりを立てるのに自分が働いて、そのすべてを代行してお金払って結局賃金ゼロはどう考えたっておかしいです。

つまり、

自家菜園が大変だから流通網に乗って運ばれてくる野菜を買ったり、冷食やお弁当を買っているのと一緒ではないだろうか?

うちの例

旦那が16時間働き、嫁が8時間のパートでした。

旦那は帰ってきて『なぜ家事が行き届いていないのかを尋ねます。』

『私だって働いている!』という言い分です。

そのうえ、『気が付いたなら、気が付いた人がやればいいじゃん!』

『家事は共同でしょ?』という主張です。


旦那が外で遅くまで働いていて、家の状況を把握するのは不可能です。

そのうえで、家に居て、料理を作り、子供を風呂に入れたりと出来るのは嫁の方です。

こういう作業が大変なのは、間違いないと思います。


私も、家事はお前の役目だなどとも考えていません、旦那の家事への参加も否定しません。

ただ、物理時間的にできなくて、後の祭り的に現状を指摘をしているに過ぎません。

時間的に不可能だったという言い分ならば改善も提案もできます。

私が指摘したかったのは、『気が付いたなら、気が付いた人がやればいい』の部分です。

家に居て、気づけるのは嫁です。

気が回る為の方法をどう考えるのか?

論点はこれだけです。

疲れていたから、面倒くさかったから

人間だもの、そんなことくらい、そんな日だっていいでしょう。と私は思っています。


しかし、袋を開けた切れっぱしをそこいらに放置する、こぼしたものを拾いも拭きもしない。魚を焼いたグリルが1週間放置される。冷蔵庫は腐った食品だらけ、洗濯物は溜まり干しっぱなしでたたんでいないものを次の日に着まわす。この日常は、私の常識からかけ離れていて、教育上よろしくないと考えていました。


そういった1つの事から気づくようにできませんか?というお願いの反論が、

『気づいた人がやればいい』なのです。

家事は共同を逆手に取った無茶でしかないと考えてしまいます。

結論

各家庭の考え方、個人の考え方を否定するものではないが、

家事を時給換算して考える事には無理があると思います。

金額に換算できない価値があると言ったら綺麗ごとですが、

協力して出来る事の本質、無価値で良い事、無価値が悪だという考え方。

家族が笑顔でいる事が共通目標のはずですから、愛情の搾取などという触れ込みに踊らされ過ぎない方が幸福度は高くなるのではないかと思います。

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