現実が真実ではない
例えば、悪い人間が居るとしよう、
誰が見たって悪い人間だ、
自身でも、悪いことをしているんだという自覚がある。
つまり、それは絶対悪ということ。
何に対しての【悪】かといえば、【善行】に対しての悪である。
光が無ければ、影という概念すら生まれない。という事をちゃんと知るべきだ。
人の認知能力
『良いおこない』がある。
人はそれを【道徳】という。人はそれを『基準』にして【善】【悪】の判断を下す。
【道徳】とは、人間が生きて、幸せを感じる1つの『ものさし』
ほとんどの人間は、この『ものさし』を共有できる。『言語』や『文字』もこういった『ものさし』の類であろう。
『ものさし』を共有できるというのが、人間がもっとも優れた能力『認知能力』であり、『認知革命』であったのであろう。
誤解が生まれるということ
残念ながら、この『ものさし』は万能では無かった。
数字の振られた定規でさえ数字の意味理解できないものにとってはほとんど意味を持たない。
数値が振られていない【道徳】という定規も、個々の解釈で伸びたり縮んだりするものです。
これを『色眼鏡』とか『自分のレンズ』なんて言ったりします。
この特性を面白おかしく観せているのが『アンジャッシュ』のすれ違いコント。
『この意味、もちろん解ってますよね?』という前提が崩れているのを見るのがオモシロイ。
『共通認識を確認しない』というのは、会話や、意思疎通を早くする効率的な方法だけど、
いったん食い違うと、どこでどうなって食い違ってしまったのかわからないほどこじれる原因になります。
早い段階で『児嶋だよ!!』と訂正したほうが良いでしょう。
誤解を解かないという選択
【誤解】とは、漢字の指す通り【誤って】『理解する』『解釈する』ということを言っています。
譌と誤を読み間違えた瞬間、読んだ人の理解が全く違うものになってしまったり、
これまで生きてきた価値観によっても大きく意味を変えてしまうことが多くあります。
粉飾決済というものを例にしてみます。
会社が儲かっているように【誤認】させて騙す行為です。
騙す方としては、誤解は解かれない方が都合がいいのです。
誤解を解かない方が都合のいいものと
もう一つ
誤解を解くことをあきらめるケースもありますね。
たとえば、誤解をしている方が大多数であったり(賛成多数)
権力やハラスメントで抑え込まれてしまったり(自己保身)
真実一路
このあたりは、人間の数だけ解釈はあると思いますが、私の解釈、私の解像度で申し上げれば、
誤解は解いておくほうがいい。
自分が全く完全に完璧に誤解をしていて、誤解が解かれてしまうと不幸になるという誤解から説かないと話は進まないんだと思います。
真実は人間にとって、ぜんぜん優しくないけど、
真実だけが完全平等。
じっちゃんが言ってました
『真実はいつもひとつ!!』
あ、引用をまちがえた!!
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