ギャンブル依存症についての考察

ガチャガチャ

まだ2歳くらいの子が『ガチャガチャ』『ガチャポン』で何がでてくるか

ドキドキして、今まで見た事も無い表情をしている動画をみました。

めちゃくちゃ可愛いのですが、これを大人の男がやっていると呆れてしまうのはなぜですか?

期待値

ギャンブルにつきものなのが期待値という数字である。

期待値が限りなくゼロであっても人はギャンブルをやめない、

なんなら、期待値がゼロであっても期待値があるように見せかける事だって出来てしまう。

これがギャンブルの闇として再生数が回って人気を博したユーチューバーも出したほどだ。

期待値がゼロのものや操作できるものを【イカサマ】と言ったりする。

お金の価値

日本では、公営ギャンブル以外で金銭の賭け事は禁止されています。

しかし、闇賭博やギリギリのギャンブルは皆さんの認識ではどうなのでしょう?

とは言え、ギャンブルと言えばお金です。お金が増える事を目指すのがギャンブルでしょう。


逆に、お金を減らしてでも欲しい景品を手に入れるのが『ガチャガチャ』だとすれば、

欲しい景品が出るまで回すのは、ギャンブルなのだろうか?

その景品が、投資に対して相応の価値があると思うのは個人の価値観に依る所です。


つまりは、お金の価値が基準になっていると言っていいでしょう。

チート装備でらくらくクリア

『宝くじに夢を乗せている』

というのが、

『チート装備で人生を楽にしたい』

と思っているのだと仮定すると、

らくらくクリアするという目的は達成できるでしょう。


らくらく生きて、楽々のまま死んでいく。

勝ち続けて、楽しい人生だった。というのは事実で幸せです。

そこに至るまでの過程をすっ飛ばして、苦労や困難を越える必要が無くなるわけです。


ここから先は、ほんとに個人の価値観ですから好きにしたらいいですが、

困難を乗り越えた先の方が価値があると考える人間も少なからずいるでしょう。

困難を有難がるのは、負け犬の言い訳と考える人もいるでしょう。

ギャンブル依存とは

ドキドキや、価値観の対価としてお金を支払う事が辞められない状態だとすると

これを止めることなど他人に出来るはずもない。

ドキドキすることが快楽の一種であるならば、よりそうである。

お金がこの世に存在していなくても、自分の威信や信用を掛けて目的に向かったりするだろう。

掛けるとは、目的達成の近道になり得る

目的達成の目的とは、個人によって様々ですが、ギャンブルの目的はお金を得る事。

お金とは、信用の代替物。


しかしそれよりも、ドキドキすることの対価として支払っているのが依存症のような気がします。

身の破滅

身の破滅は、いずれ来る未来の事

ドキドキの快楽は今すぐ手に入る物

この天秤がぶっ壊れてしまうほどに快楽っていうのは魅力的で恐ろしいものなのですね。

そして、

身近な人の身の破滅、誰かの身の破滅を悪い事だと判断して助けようとする

この人間の認知能力、共感力もまた人類が生き残ってきた理由の一つなのでしょう。

結論

悪い事だと思ったら助けましょう。

おせっかいでも良いじゃない。

お金で助けるんじゃなくて、心で助ける事ができたらいいですね。

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