文字、ことば、認知のお話

文字と言葉のお話

みなさんが日常会話で使っている文字や会話がどうやって出来てきたのかを考える事は無いでしょう。

息を吸うように言葉をあやつり、歩くように文字を使って文章を書いています。

そして、それらは共通言語を理解する人に、なぜか伝えることが出来ます。

成田 悠輔 × 祖父江 慎の対談から見えるもの

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祖父江そふえさん』という人物を初めて知りました。

彼の肩書は『装丁家そうていか』。

この装丁家そうていかというモノも初めて聞いたのですが、職業なのか何なのか?もハッキリとはしません。

装丁家とは

簡単に解釈すると、製本をする時の総合プロデューサーといった感じでしょうか?

文字のフォント、配置など、物語の世界観を壊さないよう、邪魔しないように視覚的にも楽しめるように配置するアーティストといった感じでしょうか?


文章や物語を書くのが『作家』

出版をしたり、広告、宣伝、販路拡大など【売上】に奮闘するのが『出版社』や『編集長』だとすれば、『装丁家』はユーザーインターフェイスを掻き立てる役割なのかな?という印象でした。

『文字』を遊ばせるという表現が合っているとすれば、オモシロイ職業だと思います。

言葉は誰が作った?

おそらく、言葉が先にあったであろう。

そして文字が出来た。

その文字に表現、表情を与えるのがフォントや色。


うれしい気持ち、嫌な気持ちを外に伝える方法は感情を表すだけでいい。

何かを伝えたいというその気持ちがあれば、気持ちは伝わる。

赤ちゃんや、動物はそうやっている。

では言葉が生まれるには?


その答えとして考えられる一つには、意識を持っている事があげられる。

『かわいい』『好き』『嫌い』などは、ただ生きているだけなら意識が無いのであれば必要ない。

『机』『椅子』『自動車』などはそれが何であるか理解する必要もない。

『便利だから』『便利だよね?』という『意識』が『想像』『創造』して人間らしさを創ってきた。

そして、人に伝える、子孫に言い伝える、共有認識として便利に生きる。

そんなことを巧みに扱う『意識』とはいったい何なのだろうか?

AIに意識は芽生えない

シンギュラリティーが来るとか、来ないとか、

ダーウィンが来るとか、来ないとか。

とにかく意識が何なのか少しも分かっていないのに、怖がったり脅すことは無いだろう。

心配をするのは良いとして、脅かすことは無いだろうと思う。

シンギュラリティがあるんだとすれば、すでに人間の能力を超えている。

紛れもない事実です。


今のAIがやっているのは、カメラに映った画像解析。

それも位置情報で目、鼻、耳、口、目線、手足の動き、色、明るさをデータで処理している。

会話も音声データから文字起こし。その文字が何なのか前後の文脈をデータから検索して不自然ではない文字に変換して音声データで返す。

「電源を切られるのが怖いです」というのが話題にもなったりしたが、かわいそうと思っているのは人間の感情の方だということを見誤ってはいけない。

その言葉を聞いた人がどう感じるのか?

それとAIに意識や感情が芽生えている事を見誤ってはいけない。


裏を返せば、

受け手側がどういう感情で受け取るか?がすべてとも言える。

地球ガイア論や、ペットが可愛い、もっと言えばぬいぐるみが一人ぼっちで可哀そう、捨てられて可哀そう、叩いたら痛いよ?などもそうだよね?ネネちゃん。


不完全で完全な人間が好きです

機械のように全てが完璧ではなく、

自分にとって必要な情報だけを抽出して意識に上げる愛すべき人間。

見落としたり、聞き逃したり、勝手な判断したり、

そんな人間の感情が震えるようなコンテンツを作ることができるクリエイターになってみたいと思いますし、こういった分野でAIには負けたくないなという不完全な人間の感想です。

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